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平成20年8月6日平和記念式典での車いす介助等ボランティアに参加して 平成20年6月、広島市社協から本年8月6日の平和記念式典における車いす介助等ボランティアの募集のお知らせがきた。早速該当会員に案内したところ幸い2名の応募があり、上村、黒瀬の事務所スタッフを含め4名で参加することにした。
参加のためには次のような講座を受ける必要があった。 (1) 平成20年7月10日(木) 13:30〜16:00
・ 被爆者の現状について ・ 傾聴、コミュニケーションのとり方について (2) 平成20年7月19日(土) 13:30〜16:00
・ ボランティア活動について(体験談) ・ 車いす介助、視覚障害者のための手引き等の方法について (3)
平成20年7月26日(土) 9:30〜12:30 ・ 被爆者証言者の談話 ・ 平和記念式典車いす介助ボランティアのオリエンテーション
・ 車いす介助実地体験 この講座を無事履修し8月6日を迎えた。当日は午前6時15分集合、6時30分活動開始、70名のボランティアが参集した。皆、帽子、手拭、ペットボトル等猛暑対策万全、ベテランと新米二人一組となって平和記念公園4箇所の受付場所に車いすを押して位置についた。式典開始前なら慰霊碑に参拝できることから早朝から沢山の人が来園、高齢者が目立つ二人のお年寄りを車いすに乗せご本人の希望の場所へ車いすを押す。絶えず会話を交わしながら人垣を分けて進む。式典が終わると職場、学校、学徒動員等の慰霊碑の前では各々の慰霊祭があり夜は、太田川に灯篭流しと一日中深い祈りにつつまれていた。
私は、式典も初めてであり参拝者の熱気、思い入れがひしひしと伝わり感動の連続であった。ベテランの相方にも恵まれ良い出会いを頂くことが出来、充実した一日であった。
(中国事務所 上村脩三)
3回あった事前講習の最後に「車いすに座られたとき、足元を整え両手でヒザをポンポンとたたき・・・宜しくお願いいたします」と言うと気持ちよく介助ボランティアが出来ることを確認した。また前日は折り鶴を何度も練習し当日を迎えた。
広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(広島平和記念式典)は朝方曇り空で風は少々、資料館本館下の集合時間6時15分前に到着する。すでに平和記念公園では式典の準備で市職員や関係者の方々が忙しくされており、まるで昼間のようだった。車いす介助ボランティアの受付をしたあと名札と車いす介助ボランティアと書いてある腕章を受け取り70名のボランティアが4箇所の受付場所に分かれた。
資料館本館下の受付場所では二人一組となり百メートル道路方面で式典へ参列人々を待ちました。周りにはボーイスカウトの子供たちが、慰霊碑にお供えする切花の配布しておりましたが、百メートル道路近辺は既に車両通行止めになっており、車いすを必要とされる方々になかなか出会いませんでした。杖をつきながらゆっくりと歩いて来られた原爆死没者の遺族でもあり、原爆被爆者である年配の女性に出会い「車いすご利用されませんか!」と声をかけ、「毎年、式典に参列してきたが足が悪くなったので初めて利用させていただきます」とご返事があり、車いすに乗っていただくことになりました。式典会場の受付で紫の遺族者リボンを胸につけ式典パンフレットを受け取り、中央参道を通りテントのある車いす席へ案内しました。
当時女学校3年生であったその女性は、学徒動員(日本製鋼所での焼夷弾を磨く作業をしていた)で月1回の休日である月曜日の8月6日に横川町の自宅で被爆し、小学校6年生の妹さんが自転車でお買い物に行きそのまま帰ることはなく遺体も遺骨も見つからなかったそうです。「私の身代わりになった」と悔やまれて仕方なかったそうです。式典の始まるまで当時の様子を話しながら、式典パンフレットに挿んであった金色の折り紙で折鶴を折ってもらいました。式典終了後慰霊碑に献花し「無縁仏」といわれる「原爆供養塔」にお参りし紙屋町のバス停までお送りしました。式典が終わるまで車いすで案内したことに大変感謝され涙をながされ喜んで頂き、上手く出来るか不安だった車いす介助ボランティアが無事終わり安堵しました。活動記録表に活動内容の報告し、「平成20年度平和記念式典、介助ボランティアアンケート」に答えたあと解散となりました。
(中国事務所 黒瀬 睦)
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