■ 関西支部(大阪)/国際交流/同志社大学

「中国」を教える?

神谷 周孝(登録会員)

「反日・抗日」教科書で今も教育されている中韓の若者に、 どう正しい「日本観」を理解してもらえるのかーーそれが 留学生の交流に参加した私の願いだった。戦争体験者どころか、戦後の「焼け跡」世代も徐々に消えて行く時代の流れ。 米軍の脱脂粉乳で飢えを癒し、平和の尊さを身をもって学んだ我々日本人の愚直な生き様(ざま)を一人でも知ってもら えたら・・との思いからだった。

路さん家族と筆者(右端)

中国の古都、洛陽近くで育った同志社大3回生の路君は日本語ぺらぺら、優秀で、将来性のある青年だ。ただ、学校で 書道を習ったこともなく、論語の孔子や孟子についても歴史 でしか学んでいない、と聞いて驚いた。多くの仏教寺院が破壊され「5千年の文化はどこへ行った?」と疑問を覚えた。 早速、路君への文化指導から始めた。京都・大覚寺での写経で般若心経を筆書きさせ、比叡山延暦寺で「千年の法灯」を見学させた。

筆者奥様と路さん

「2千年も前から日本は遣唐使などで中国の文化を必死に吸収し、それを守って来たんだよ」「論語や五経、大学などが江戸時代も寺子屋で子供たちに教えられた」。
 路君は感激した。日本のお年寄りから中国の文化、思想を学ぶとは思ってもいなかったようだ。正月には自宅で日本のおせち料理を一緒に味わった。 以前、飲食店の社長から「中国のバイトはミスしても絶対謝らず弁明ばかりする」と聞いていたのでぶつけると、 路君は「自分が不利になると仕事もクビになるから」と答えた。

両親が若い世代に起きた文化大革命で、知識人が紅衛兵に修正主義者と連行され、罪を認めた者は粛清されたという恐怖感が身についているようだ。また、13億社会で頭角を現すには能力も目立たなくてはならない。友人関係やゼミでも目立ちすぎて四面楚歌になることもある、と嘆いていた。目立たず、周りを絶えず気にする日本風土にも文化ショックを 受けて悩んだ時期もあった。「どうしたら日本の友達が出来るの?」と真剣な表情で聞かれた時は、古いけど与謝野鉄幹の「人を恋うる歌」を教えた。「友を選ばば書を読みて六分の侠気、四分の熱」と。勉学に熱心で自分のために侠気を出してくれるのが本当の友だ。路君は「侠気」をノートパソコンで調べて、うなずいた。

ご両親が京都に遊びに来られた時も一緒に食事をしたが、まだ40代の若さで、路君は私の孫ほどの年齢だ。「一人っ子政策」で一粒種を日本に送って仕送りを続けるご両親の期待と不安が、中国語の通訳(路君)付きながら痛いほどわかった。

今後、路君は就職の準備活動に入る。政治問題も尖閣、南沙諸島も十分、お互いに議論しなければならない。北朝鮮の核問題、韓国の慰安婦、中国の抗日宣伝などから日本政府の右傾化も心配され、事態はますます複雑に流動しつつある。 国際社会に通用する有能な人材としてどう育ってくれるのか? 定年後の老人に出来ることは限られている。今後の挫折を慰めるだけかも知れない。一緒に世の不条理に涙を流すだけかもわからない。でも日本のこうした留学生交流が心の支えになった、「じいちゃん」は好き、日本も好き、と中国の「孫」に思われたら本望ではないか。


“中国人留学生の支援”

黒澤 信之(三井物産OB)

いつも微笑みを浮かべ優し気な表情の留学生!新緑がさわやかな五月晴れの京都今出川キャンパスで初めてお目にかかった時の印象だ。揚子江の河口から130kmほど 上流に位置する町、流行歌でも謡われる無錫から来日中の留学生 繆(ミョウテイテイ)さん。

来日する前、中国の大学で日本語を専攻しただけにさすが日本語力は非常に高い。彼女は、本年4月から同志社大学商学部修士課程で国際金融を専攻している。好奇心が旺盛で、国内各地を訪れ、紅葉の飛騨「白川郷」にも足を延ばした。急こう配屋根の合掌造り、郷土料理「飛騨牛」も堪能したそうだ。異国の旅先での経験は格別だ。私自身、さんの年代に、ドイツ各地を訪ね、土地独特の良き思い出は、今でも心に深く刻まれている。

同志社大学今出川校地正門

ご本人の要望もあり、専攻研究テーマ「国際金融」に関係するキーワードを日経新聞、週刊東洋経済、英国週刊誌エコノミストの記事から選び、私が解説しながら会話を進める。仮想通貨、ビットコイン、フィンテック、スマホ決済など。最近の金融界を取り巻く状況変化は速く目覚ましく、10年後の金融状況を想像するのは難しい。仮想通貨ビットコインは既存の通貨と違って、巨大なサーバーを持たず、「ブロックチェーン」という各個人所有のPCを活用する。既存の金融機関経由より格段に安く送金できるのでアフリカ、新興国で需要が増大中だ。今後普及が進み認知度が向上したら、日本のコンビニで誰でも簡単にネット買物代金などを仮想通貨でスマホ決済できる日が来るかもしれぬ。

就職は日本企業をご希望なので、日本語の表現力、特に文章作成力の向上を目指している。今年の5月に初めてお会いしたとき、すでに口語表現力は、自然で素晴らしいものでした。今後、同意語辞典も活用し語彙を増やし、表現力を磨くよう強くお勧めしている。


恩師澤田先生

劉 寧

同志社大学大学院の劉寧と申します。澤田先生と一対一の国際交流、2012年の6月4日から始まり、もうすでに20回以上の交流勉強会になりました。最初は澤田さんと呼びましたが、どんどん澤田先生と呼ぶようになりました。

私は日本の経済発展、特に戦後日本社会の発展に興味を持っています。最初交流のテーマは主に日本の文化、経済発展に関することです。澤田先生は日本の経済発展、社会現象などを冷静に見て、生の日本社会の姿を教えてくださいました。勉強会を開催することを通して、大変勉強になりました。

そして2012年10月から就活の準備を始めました。日本の就活は中国の就活と完全に異なり、就職活動の期間が長く、準備することも多いと感じました。

この就活期間中は、通常の日本語、日本文化の勉強を差し置いて、澤田先生に就活についての相談や意見を求めました。最初業界分析から最後の最終面接まで、たくさんのアドバイスをいただきました。特に、就職希望理由書の作成や面接への対応については、澤田先生のアドバイスが、非常に役に立ちました。私の就活は順調とは言えません。何社かの選考で落ち、最後にローソンの内定が決まりました。この就活の半年で、常に不安を感じながら結果を待ち、結果が出次第、次の面接への対応を考え澤田先生にアドバイスをして戴きました。

内定先が決まった直後、評判のフランス料理店でお祝いしてくださいました。就活を振り返って、澤田先生の助けがないと、なかなか合格をもらえなかったと思います。

澤田先生から習ったのは、単に日本語や日本社会の知識だけではなく、大切な奉仕の精神です。日本でさまざまなボランティアの姿をよく見かけます。ボランティアがいないと、今のような日本の住みやすい社会が成り立たないと思います。

日本に来てから、東北震災ボランティア、京都マラソンボランティアなど さまざまなボランティア活動に参加しました。その中で特に留学生が活動する難しさを感じましたので、留学生にアドバイスを送る本を書くことにしました。執筆した時に、澤田先生からの助けを受け、おかげ様で、2013年9月に一部の内容を「日本留学大全2013-2014」で出版しました。

2013年4月京都府名誉友好大使の選考を受けました。選考は厳しくて、書類選考、一次面接、二次面接までありました。また就職活動と同様に、希望理由書、面接対応などについて、澤田先生に相談、アドバイスを受けました。澤田先生のおかげで、2013年の5月、ほかの14名の留学生たちと一緒に京都名誉友好大使に任命されました。今後、異文化交流、京都府の国際化推進などの面で自分なりの役割を果たしたいと思います。


五年後の国際交流

会員 安田 憲司(三井住友銀行OB)

当事業団の登録員として初めての留学生との一対一の国際交流、出会いは2005年6月。 お相手は、京都・同志社大学の博士課程の正規学生として精励する中国からの留学生。初対面の印象は、日本人と紛える可愛い女子学生。

早速に交流が始まった。手渡された交流登録票の彼女のニーズは「日本語でうまく話したいであり、日本の経済、文化、日本人の生活など、いろいろ知りたいである。」・・・・・と語尾はこんな調子だった。

>>続く


同志社大学留学生サポート

田中 重(三井住友海上OB)

私の留学生サポートは、銭君で5人目になりますが、共通していることは、 日本人学生には稀になった貪欲に物事を吸収しようとする意欲を皆さんが備えているということです。 最近の角界にどこか似ていますね。とりわけ。銭君の明るさ、フットワークの軽快さ、日本語の流暢さ に脱帽です。生い立ちの苦労を見せない、人当たりの良さで、 今後も出会う人たちを魅了し続けてくれることでしょう。私もその一人になったのですから・・・。


田中さんとの交流について

銭 俊傑(同志社大学留学生)

私は同志社大学院に入学後、気の合う友人は殆ど留学生であるため、日本人と深く交流する機会がありませんでした。 そのため、日本語などの問題に直面した際の打開策に頭を悩ませていました。

たまたま国際交流センターに張ってあったポスターを見かけ、ラッキーなことに、 ボランティアをしてくださる方がいらっしゃいました。これが田中さんです。

>>続く